映画「ジョーカー」レビュー:少し落ち込んだ人限定。ストレス社会に巻き込まれずに生きるヒントをアーサーに学ぶ!

この記事はネタバレを含みます。未見の方はご注意ください。 

社会人に成り立ての頃の自分の姿がアーサーに重なった。児童虐待、貧困、障害、介護の負担、社会問題を一身に背負い、底辺で暮らす人々の代表のようなアーサーの過酷な外的要因はひとつもないのに、ただただ、社会から受け入れられず、自分が無用の者に思えて仕方なかったという1点で、とても他人には思えなかった。自分も同じ引き金を引いたかもしれない。だから、次々と殺害を犯すのを見るのは辛く、まるで、友人がひどい事件を起こすのを止められなかったような気持ちで映画館を後にした。とても辛かった。

冒頭の妄想シーンで、客先からステージにあがる瞬間の音響効果が素晴らしかった。歓声でまわりを包まれるような感覚を引き起こし、ステージに立つことの素晴らしさが伝わると同時に、自分自身の人生においてすら、ほとんど客席にいることをまざまざと思い起こさせる。ステージにあがることがアーサーの願いだった。

いくつもの殺害があったけれど、母親の殺害だけがとても現実的だった。彼を優しく包むこむ窓辺から差し込む太陽の光が、実に美しく、以降の物語には、残光のような彩りが添えられる。陰鬱な音楽と褪せた映像が、少し俗っぽい音楽と色彩豊かな映像となり、アーサーは解き放たれる。

疲れ果てトボトボと暗い階段をのぼってゆくアーサーには親しみが持てた。バスから降りて、家路に向かう途中で、苦行のように一段一段踏みしめていく。どこにもたどりつけやしないのに。でも、カミュのシーシュポスの神話のように同じようで違う毎日に気づく日があったかもしれない。だから、ピエロの姿でかっこよく決めたアーサーが階段で踊るシーンには、悲しみしか感じなかった。

いや、待て。何かがおかしい。アーサーが落ちていく様に悲しいまなざしを送る自分は騙されているんじゃないか。

妄想は、隣人の女の人との出来事だけにとどまらないのではないか。そもそもスタンダップコメディの舞台に、彼が立てるのか。オーディションだってあるだろうに。立っていなければ、TVショーに出演などしようもない。そういえば、TV局からの電話は、冷蔵庫に閉じこもった後だった。銃は買うつもりで、受け取ったのかもしれないが、正確な腕前で3人もの若い男を射殺することができただろうか。自宅を訪れた同僚の喉もとを、訓練も受けずに鋏で一撃で突き刺すことができただろうか。

妄想と現実の境界を少しずらしてやると、作品の見え方が大きく変わる。妄想と現実の仕分けをやり直すのだ。騙されちゃいけない。彼の日々の営みのわずかな断片を都合良く見せられていたに違いない。妄想による代償行為で、アーサーは高揚感を得て、バランスを取っていたのだろう。

ジョーカー誕生の物語ではなく、ジョーカーを頭の中で創造する物語だったのだ。追い詰められた袋小路から抜け出すため、ぼくらを巻き込みながら、アーサーは、深い思考のトンネルを掘り続けていた。地下鉄の殺害のニュースや、街での暴動を傍観していたアーサーが生み出したもうひとつの世界のしたたかさに気づくと、我に返ってニヤリとしてしまう。煌びやかな妄想の世界の中心で、彼は承認欲求を満たし、暗い階段をのぼってゆく力を蓄える。

辛い思いをして、社会と真正面からつきあう必要などない。挑発に乗るな。ただ、高みから見おろしてやればいい。アーサーの高慢と豊かな想像力は、ある少女の言葉を思い出させる。

私の経験から言うと、物事は楽しもうと思えば、どんな時でも愉しめるものよ。

もちろん、楽しもうと固く決心することが大事よ

『赤毛のアン』第4章 松本侑子訳

これだ。ストレス社会を生き抜くために必要なことは。目の前の現実など受け入れず、己の世界を生きていこう。

カミュのシーシュポスの神話について、ウィペディアの引用。

神を欺いたことで、シーシュポスは神々の怒りを買ってしまい、大きな岩を山頂に押して運ぶという罰を受けた。彼は神々の言い付け通りに岩を運ぶのだが、山頂に運び終えたその瞬間に岩は転がり落ちてしまう。同じ動作を何度繰り返しても、結局は同じ結果にしかならないのだった。カミュはここで、人は皆いずれは死んで全ては水泡に帰す事を承知しているにも拘わらず、それでも生き続ける人間の姿を、そして人類全体の運命を描き出した。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%9D%E3%82%B9%E3%81%AE%E7%A5%9E%E8%A9%B1

この記事を書いた人

どんな映画にもいいところはあるはずと信じてます。好きな映画は、「マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ」、「アマデウス」。好きな監督は、ヒッチコック、ジョン・ヒューズ、ジョン・カーペンター、クリストファー・ノーラン、ウェス・アンダーソン、ウディ・アレン、山田尚子、石立太一。好きな脚本家は、吉田玲子。

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